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完璧な人間なんていない。限界はあっても、可能性に終わりはない。思考も終わらない。留めのない思考の置き場

過去に友人から貰った言葉「完璧な人間なんていない」という言葉が自分の信条になった時、考えさせられた言葉の倫理考察

私の信条

私には以下の信条がある。


完璧な人間なんていない 私たちは機械じゃない。 完璧な人間なんていない。 私たちは、生まれる前に、親を選べないように 遺伝子や生育環境を自分たちで選べない。 私たちは、絶対に障害や病気あるいは老化を防ぐようにように体ができてない。 完璧な人間になれるなら、 誰もが善良な人間だったはず。 そして誰もがそうじゃないこと私たちは知っている。 だからこそ、 そんな世界だからこそ、 私は、 正しいことより 優しさを忘れずにいる人間でありたい。


今日はこの信条について話していこう。

信条が生まれた経緯

経緯に関しては、こちらにも書いているが話しておこう。

友人と6年間仲良くしていたが、衝突が多くなり離れようとした時、送られた一部のメール(個人情報を守るため一部、脚色を混ぜたり、情報を一部伏せている)


10年前の友人がかけてくれた言葉を忘れられない。 「ほとんどの人が途中で貴方の人間としての関わりにくさに離れて行ったと思います。 まず他人に求める理想が高すぎることです。 人間はそこまで完璧じゃない。 そして貴方自身がその理想についていってない。そして他人にそれを押しつけることです。 人間関係 のことにしてもそうだし、人間はそこまで完璧じゃない。 それはこういう行動に出ている貴方もまた同じです。 考えに間違いはないとしても、普通の人からずれた考えをしているのにかかわらず、他人の意見を全く聞き入れないこと。 それは一つの生き方としては、ある意味とても素晴らしいものだともいえると思います。 強い人であれば。 でも貴方は強くない。 そのギャップに今までずっと苦しんできたんじゃないですか 自分を一度客観視してください。 貴方が今まで理想を押し付けて非難をしてきた人たちと貴方は、どこか違いますか? 人間はどこかしら欠点があって当たり前だと思います。 貴方はきっとそれが万人に理解できないところにあって、尚且つ人の意見を聞くことのできない人間なので、とても生きにくい人間なんだとずっと思ってました。 それでも繰り返しいいますが、こういう連絡の立ち方だけは絶対にしない人間だとずっと信じていました。 それが貴方のが掲げていた理想だったから、根本は他人の事を考えられる人間なのに、もっと生きやすくなると思います。


このメールがきっかけで、私は、10年後も忘れずに入れない言葉となり、「完璧な人間なんていない」という言葉が信条へと変わる。

「完璧な人間なんていない」が信条に変わるまで

Xでも、2023年9月24日に投稿をしている。

Xでなぜ出そうとしたのかは覚えてはいない。しかし、構想は固まっていた。


完璧な人間なんていない 私たちは機械じゃない。 完璧な人間なんていない。 私たちは、生まれる前に、親を選べないように 遺伝子や生育環境を自分たちで選べない。 私たちは、絶対に障害や病気あるいは老化を防ぐようにように体ができてない。 完璧な人間になれるなら、 誰もが善良な人間だったはず。 そして誰もがそうじゃないこと私たちは知っている。 だからこそ、 そんな世界だからこそ、 私は、 正しいことより 優しさを忘れずにいる人間でありたい。


これが私の核だ。

完璧な人間になれないことを最初に条件付けて書いてある。

  • 人間は 機械とは違うから完璧な計算は人間には出来ない
  • 環境を選ぶことが出来ない時点で縛りがある
  • 障害や病気、老化を防ぐ術はない、脳にも限界がある
  • 善良な人間はこの世にいない、状況を変わるたび適切な判断軸を持って最良の選択肢を持って人に接する、あるいはそれが本当に正しいかの判断を人は判断しきれない。
  • 誰もが間違える前提で生きれないことを知っている、間違いをするための選択肢ですら正しいと思っているからだ

最悪想定から考えると、自分も他人も間違える。

ただし、それは最初から、犯罪を肯定するものではあってはならない。

しかし、法律も万能ではないことを知っている。

しかし間違いにくい方法があるとするなら、

そんな世界だからこそ、 私は、 正しいことより 優しさを忘れずにいる人間でありたい。

という最後の一文である。

正しいことより、複数の可能性を考えられる仮説を生み、判断を遅らせながら、間違いを共有できる思考プロセスが生まれれば、思考は仮定に過ぎないと知る。

これはまだ万能なマニフェストではないと知っている。

どんな人にも通じるマニフェストではないことは確かだ。

優しい人でありたい…

しかし、それだけでは現実を生き抜くのは厳しい。

その上で、優しくありたいとするのは、私が人の何か大切なものを忘れたくないからなのかもしれない。