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完璧な人間なんていない。限界はあっても、可能性に終わりはない。思考も終わらない。留めのない思考の置き場

「笑顔」を誰かのために消費される時代は「笑顔」をより信用価値を下げる行為として積み重なっていく

子供のダンスミュージックのビデオを観た。

私はこの手のミュージックビデオを見ると心配なことがある。

子供が純粋に笑顔を振りまいているわけではないからだ。

社会的な立場を早熟して背負わせれている、子役の宿命だ。

子供時代に演技を身につけると、同世代の子供より感情制御はうまくなるが、同時に本音をみせられない状況を強制的に身につけさせられる。

否が応でも。

常にメディアの視線を意識した上で、影響力を計算し続けることが子供に要求される。

それが職業として成立している。

しかし、笑顔を要求されるのは子供に限った話しではない。

日常的な営業職や接客業などいたるところに笑顔が無料で要求されるサービスは存在する。

アイドルなんて典型的なものだ。

しかし、そうした日常的に笑顔を消費することが人々を豊かにするとは私は思えない。

笑顔は無難ではあるが、信用されにくい情報だと思う。

本音が隠されているからだ。

もちろん生きるためには、正直で生きるのは難しい、ある程度本音を隠すことが潤滑油になる場合もある。

子役がなくなると成立しない職業があるのも知っている。

理想論ではなく切実な思いを書かせて欲しい。

私はそれでも、子供ぐらいは、子供の時ぐらいは、自由な表情を許されて欲しいと思うのである。

こんな社会だからこそ、尚更そう思えて仕方がない。